検索条件

商品カテゴリから選ぶ
商品名を入力

現在のカゴの中

合計数量:0

商品金額:0円

カゴの中を見る



NEW
商品コード: syo5462

【直筆サイン本】僕しか知らない星野仙一

価格(税込): 1,620
サイン本を:
数量:
カゴに入れる

【商品名】僕しか知らない星野仙一
【著者】江本孟紀
【発行】株式会社カンゼン
四六判/208ページ
2018年3月22日発売



『僕しか知らない星野仙一』著者直筆サイン本数量限定で発売中!

・サイン本は無くなり次第終了となります。
・一度品切れとなっても、ご注文のキャンセル等が出た場合は、在庫が復活する場合がございます。
・価格はサイン本、通常本ともに同じ価格となります。

☆他、各種サイン本はコチラから




王さん、長嶋さん、野村さんと同じように星野さんのようなタイプも野球界にもう永遠に出てこない

大学時代から50年以上にわたり交流、闘将の知られざる素顔を“えもやん節”で明かす

「星野さん、全部話してすんません!」


-------------------------------

今、あらためて星野さんのことを語る意味とは

僕たち団塊の世代に生まれた元プロ野球選手は、多くのライバルと競い合い、己の技術を高めあってきた。
けれども、選手としてはそれなりに成功を収めても、監督としてはさほど成功していない。
いや、正確には監督のお声がかかったのは、山本浩二さんや田淵幸一さん、山田久志、大矢明彦ら、ごく一部の人間だけだ。

そう考えると、僕らの世代で監督として成功したのは、星野さんだけなのかもしれない。
通算勝利数の1181という数字は、川上哲治さんの1066勝、長嶋茂雄さんの1034勝を上回る。
この点は素晴らしいの一言に尽きる。

だが、星野さんの監督としての能力はどうだったのか。いったい何が優れていたのかを具体的に語られることはほとんどない。
星野さんを表す言葉として、「闘将」「鉄拳制裁」のイメージが強すぎて、それ以外の言葉は浮かんでこない、なんていう人もいるはずだ。
星野さんが球界に遺したものとはいったい何だったのか。これまでの生きざまを紐解きながら、検証していくことで見えてくるものがあるはずだ。それをみなさんにも知っていただければ幸いである。

-------------------------------


【目次】
プロローグ 星野さんと交わした最後の会話
・まさか最後の会話になるとは思わなかった、パーティーでの1コマ
・今、あらためて星野さんのことを語る意味とは

第1章 コーチャーズボックスから聞こえる「声の主」
・星野さんは大学時代から「2つの顔」を使い分けていた
・「島岡野球」とは精神力を鍛える野球のこと
・アカデミックな野球を追求していた法政野球部
・島岡さんが選手たちから支持された理由とは
・飲み屋で見た、星野さんの意外な一面
・星野さんが巨人から指名されなかったワケ

第2章 星野批判がマスコミから起きなかったワケ
・「アホ」を100回言ってもクビにならなかった
・鉄拳制裁を記事に書いたときの星野さんの反応
・衝撃かつ天才的な振る舞いだった、阪神監督就任の記者会見
・「星野批判」は許されない空気を作り出した
・北京オリンピックで負けた際、誰も守ってくれなかったワケ
・仙台のファンから好かれていなかったことを自覚していた

第3章 「巨人キラー」から「オヤジキラー」へ
・年上に好かれる術は島岡さんから伝授された
・星野さんと野村さんの共通点
・NHKで野球解説を務めることの意味
・「ただし、条件があります」のひとことが重要だった星野さんの交渉術
・まさかの「阪神監督就任」はこんな裏側があった
・星野さんが政界に進出しなかったワケ

第4章 「星野仙一を演じ続けた」理由とは
・今のプロ野球は「魅せる投手」がいない
・投手の衰えはこんなところでわかる
・巨人戦で燃えた理由
・「明治野球」はプロでも発揮した
・たとえ嫌われ者であっても、使いこなす星野さんのすごさ
・星野さんから引退後の身の振り方について相談があった

第5章 星野さんの球界への遺言(メッセージ)
・負けた翌朝にスポーツ紙を読む、今どきの選手たち
・理論以上に「鍛えることが大事」なときもある
・スキルを磨くには、とことんやり抜く気持ちが必要
・日本人選手が海を渡ることの寂しさ
・今の監督には「言葉の重み」がない
・「執念」が名監督をつくる

エピローグ 星野さんが果たせなかった「夢」
・星野さんが最後にやり遂げたかったこと
・星野さんに最後に望みたかったこと
・星野さんへの感謝の言葉



【著者プロフィール】
江本孟紀(えもと・たけのり)

1947年7月22日高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組を経て、70年ドラフト外で東映フライヤーズに入団。
1年目のオフに南海ホークスへトレードすると、いきなり16勝をマーク。在籍4年間すべて二桁勝利を記録した。
75年オフに阪神タイガースへ再びトレード。1年目から15勝を挙げてエースとして活躍した。81年に現役を引退。
113勝126敗19セーブ・防御率3.52。その後は野球解説者・評論家として活動していたが、1992年に政界へ進出し、参議院議員を2期12年務めた。2001年参議院初代内閣委員長。
現在はプロ野球解説者として活動する傍ら、野球界の底辺拡大に努める。
四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグス球団総監督。故・星野仙一氏とは大学時代から50年以上の交流を持った。



お客様の声

新規コメントを書き込む